our story

ハーシーのハピネスの軌跡

TIMELINE

ザ・ハーシー・カンパニーの歴史

ザ・ハーシー・カンパニー創業の背景

ミルトン・ハーシーが追求していたのは、思わず笑顔になるおいしいお菓子を作ることでした。これこそがザ・ハーシー・カンパニーの原点です。 ミルトン・ハーシーはその夢を簡単に実現できたわけではありません。彼はキャンディーショップ経営での二度の失敗を経て、ようやく成功を収めました。

1886

菓子事業で二度の失敗を経験したミルトン・ハーシーは、三度目の正直で取り組んだキャラメル会社で成功を収め、自信を取り戻しました。

1894

ハーシーブランド製品として初めて「ハーシー ココア」を発売。これがハーシーのチョコレートの始まりです。

1900

100年以上前には、チョコレートは一部の人しか口にすることができない高価なものでした。ミルトン・ハーシーがチョコレート工場を作り大量生産を始めたことで、誰もがチョコレートを楽しめるようになったのです。

1903~1905

ミルトン・ハーシーは、従業員がより良い生活を送れるよう、路面電車、住宅、学校、プール、そして動物園まである理想の街を考え、その設計や建設に携わりました。その街こそが、現在のペンシルベニア州ハーシー市です。

1906

ミルトン・ハーシーは、従業員の幸せは会社の成長にも寄与すると考え、従業員とその家族の憩いの場としてハーシー・パークを建設しました。

1907

「ハーシー キスチョコレート」の発売当初は、従業員が一つ一つ手作業で心を込めてホイルで包んでいました。

1909

ミルトン・ハーシーは、親を亡くした孤児が教育を受け、幸せに暮らせるよう、ミルトン・ハーシー・スクールを設立しました。
当時、孤児は社会の負担と見なされ、受け入れられていない時代でした。

1927

ガールスカウトのハンドブックに「スモア」のレシピが初登場。 一度食べると誰もが「some more!(もっと食べたい)」と言うこと から、この名前が付いたといわれています。

1928

「ハーシー チョコレートシロップ」が発売され、家庭で手軽にチョコレートミルクを楽しめるようになり、子どもたちは大喜びしました。

1929-1939

常に従業員の幸せを重視していたミルトン・ハーシーは、大恐慌のさなかにペンシルベニア州ハーシーで「ビル建築キャンペーン」を展開して600 名を雇用し、ホテル・ハーシー・コミュニティービル、ハーシー・チョコレート本社ビル、ハーシー・アリーナ、ハーシー・スタジアムなどの大規模な建 築工事を行いました。

1945

ミルトン・ハーシーがこの世を去り、すべての財産が、ザ・ハーシー・カンパニー、ハーシー市、学校、施設に寄贈されました。ミルトン・ハーシーが遺した理念に基づく慈善活動によって、多くの若者が教育を受けることができました。

現在

教育と他者への思いやりに対するミルトン・ハーシーの理念は今もなお受け継がれています。

誰かを幸せにした分だけ
自分も幸せになれる

ミルトン・ハーシー
1879年4月9日、ペンシルベニア州デリーにて

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